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代表者のプロフィール

こんにちは。行政書士の糸数直(いとかずなお)と申します。沖縄で生まれ沖縄で育ちました。

自己紹介がてら、私の経歴と"なぜ行政書士になったか"を書き記します。どうぞお付き合いください。

【学生時代】

私は県立首里高校を卒業後、東京学芸大学に進学しました。大学名からはイメージしにくいですが教育学部です。ずっと部活動でバスケットボールをしていたので、将来は教員になってバスケ部の顧問になるんだ、というありがちな理由で保健体育の教員免許が取れる学科を選びました。大学院まで進み「教育とは何か」いろいろ考える日々を過ごしましたが、一方で世の中には教員以外にも様々な仕事があることに気づき、チャレンジしてみたいという気持ちがフツフツと湧いてきました。小中高大そして社会人になっても学校というカテゴリー以外を知らないのはまずい、という焦りもあったかもしれません。

そんな中、地元に琉球ゴールデンキングスというプロバスケットボールチームが出来ました。当時は東京にいましたが、チーム誕生の情報を知ったときは雷に打たれたような衝撃を受けました。沖縄にプロバスケ球団が出来た!なんてこった!そんな球団の理念は「沖縄をもっと元気に!」でした。

【バスケを通じて人々が元気になる】

地元沖縄を元気にする仕事がある!しかも大好きなバスケを通じて!!そんなことが出来たらなんて幸せなんでしょう。私は球団にすぐ連絡を取り、まずボランティアスタッフをさせていただきました。ホームゲームのチケットもぎりだったりお客さんの案内だったり。ボランティアをするためだけに東京から飛んでいったことにびっくりする人がほとんどでしたが、私にとっては必然でした。こんなに素晴らしい仕事に携われるだけで幸せでした。

その後、思春期の片思い男子さながらの猛烈プッシュの甲斐があってか、社員として雇っていただきました。まず任されたのは広報業務。ミッションはどれだけ世の中に「琉球ゴールデンキングス」という名前を露出させるか。テレビ、新聞、ラジオ、雑誌の4大メディアはもちろん、ネット空間での露出も増やす努力が求められました。

​球団としてはチームのブランド構築が必要ですから、メディアにどのように取り上げられるか「質」も大事でしたが、私は「量」を重視しました。だって、まだ世の中にキングスというチーム名が浸透してません。内容はどうあれとにかく露出が大事だと思いテレビや新聞、ラジオ局に売り込みます。幸い、沖縄のメディアの皆様はとても好意的に取り上げてくれました。話題を作った上で選手を連れていくとほぼ100%の確率で載せていただけました。付き合いが長くなったラジオ局などには何故か私が毎週出演するというウラ技も使ったり。とにかくチーム名の露出に明け暮れました。

​一方でチケット営業やスポンサー営業も同時に担当し、様々なお客様と出会いしました。広報業務でも営業活動でも共通して感じたことは、「お客さんがめっちゃワクワクしている!」ということでした。ホームゲーム会場には開場前から長蛇の列ができ(沖縄県民は列に並ばない、という固定観念を崩す瞬間が見れました)、笑顔でグッズを買ったり家族で語り合ったりしている姿が多く見られました。新聞社やテレビ局の番記者も仕事で来ているはずですが、「今日は勝ちますかね~」とどこか楽しんでいる様子。とにかくみんなワクワクしていたんですね。試合の勝敗ももちろん大事ですが、会場にいることそのものに人々の感情が揺れ動いていたわけです。まさにキングスという球団が存在することで「沖縄が元気になっている」。そのお手伝いが出来たことは私の財産であり、かけがえのない経験となりました。

【教職員として奮闘】

充実した日々を過ごしていましたが、5年間ほど働いたのち私生活の環境の変化などのタイミングもあり、専門学校の職員へと転職しました。やはり教育という現場に行ってみたかったのです。沖縄県内では有名な専門学校です。なんたって創業者が鬼みたいな人でした(いい意味で)。「学生の夢を達成させてあげられなくて何が先生だ」「学生は大きな夢をもってウチを選んで入学してくれたんだ。諦めさせるな。100%達成が当たり前。99%はダメだ」 そのときの職員に対する威圧感と言ったら、もう鬼か修羅です(あ、いい意味で)。学生への思いが人一倍強い方で、妥協は一切許されません。もちろんプロとして当たり前なのですけど。その当たり前を本当に徹底させるという点では、その創業者の思いは脈々と受け継がれていて、この学校の文化として築き上げられていました。

 

公務員試験対策の講師と就職支援の担当を歴任しましたが、講師と書けば「授業だけやれば給料をもらえるんでしょ」という声が聞こえてきそうです。いやいやいやいや。全然違いました。授業だけやればいいならどれだけラクか。担任制をとっている学校でしたので、私は30数名の学生の担任です。彼らは人生をかけて公務員になるためにこの学校に来ました。勉強そのものは本人がやるものです。どれだけ先生がガミガミ言ってもやる気がなければ身に付きません。そうです、モチベーターであることが一番の仕事でした。「いい先生」の定義は決して「授業が分かりやすい」ではなく、「どれだけ学生の気持ちに寄り添えるか」であることと思い知らされました。

大本命の公務員試験で結果を出せず落ち込んでいる学生を数時間かけて励ましたり、無断欠席が続いた学生の思いを確認するため突撃自宅訪問して話を聞いたり、まぁほんとに色々ありました。学生の気持ちに寄り添うためには、月並みですが「傾聴が大事」ということを痛感しました。こちら側の価値観を押し付けても学生は心を開きません。おかげで私もだいぶ成長させてもらいました。

【学生から刺激を受け行政書士を目指す】

資格を取得し社会で活躍する人材を輩出するのが専門学校の意義の一つでもあります。中には税理士を目指して簿記や会計の勉強に明け暮れている学生もいました。就職支援も担当していましたので、彼らと将来について語ることもありました。そんな彼らの目は”ギラッギラッ”に輝いているんですね。その目を見て、私自身は彼らが持つような向上心がないことに気づいたのです。目の前の学生が将来に夢を描いて努力しているのに、私はどこか年齢を理由に向上心を持つことから逃げていないだろうか。そう思ったときに「おっさんも負けてられない!よしゃ、私も資格を取ってやるぞ!」という流れで行政書士を目指すこととなりました。なぜ行政書士かというと理由はいくつかあるのですが、一番は「お客様の気持ちに寄り添うことでお客様の事業拡大のお手伝いが出来、それが結果的に沖縄を元気に出来る」資格であると解釈したからです。この資格を活用して「今の子供達が大人になったときに、元気な沖縄を残す仕事がしたい」という気持ちが湧いてた次第です。(独立して一国一城の主になりたいという安直な理由だったり、某通信講座の広告に上手く乗せられたなど、大したことのない理由もなくはないのですが・・・)

これは私の価値観とバチッと合う感触がありました。それが事務所の理念にも通じています。以上の経緯から現在行政書士として日々研鑽を積んでいる状況です。皆様の事業のお手伝いが出来て、私は幸せでございます。

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